私自身としては、この事態に別に感傷的でもなく、さりとて肯定的でもない。私自身は、いまはワープロを使用してはいないけれども、ある必然に追い込まれれば、使用するかもしれないと考えている。けっして使わないと決意するわけではない。

だが〈筆蝕〉の終焉は、〈筆蝕〉から生まれるスタイル、、、つまり文体の終焉であり、文体の終焉は〈筆蝕〉から生まれる表現の美質、たとえば表現の全体から生まれる旋律や骨格、香り、色彩の終焉である。

、、「話し言葉」を「書い」た話体の文学は、快いリズム、軽やかな跳躍という種類の文体をもつ。ワープロ作文は、この種の話体のよさをさらに伸張させるだろう。しかも〈筆蝕〉から解放された分だけ、「話し言葉」や話体の美質は飛躍的に新しい表現を獲得するにちがいない。

しかし、〈筆蝕〉を喪うことによって自省と歯止めがなくなるのもまた事実であろう。現在、私たちは確実にこの種の文学の終焉という殺伐たる時代の渦中にあるという事態を興味をもって見守っている

SHISHOUSETU - 石川九楊『筆蝕の構造』
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