私などに著者の主張がとても説得的なのは、皮肉なことに私たちがまだまだ〈筆蝕〉信仰の文化(著者の言葉でいえば特殊な東北アジア文化)のただなかにいるからであると思える。私にも著者のいうような〈筆蝕〉の美の世界が実感できるとすれば、それはごく特殊な文芸の芸術表現の世界をおいてない。

著者もいうように、書くことの特権は、かって政治や支配と結び付いていた歴史を持っていた。それが民間にとけこんでいまだに特異で権威的な〈筆蝕〉の文化をつくりあげている。

〈筆蝕〉の修練が人格を向上させるなどということが信じられているとすれば、業務命令でしかたなく楷書の達人になっている警察官諸氏はみんな人格者になってしまうだろう

SHISHOUSETU - 石川九楊『筆蝕の構造』
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