バルカン半島のオスマン帝国領は1699年のカルロヴィッツ条約以降縮小・解体に向かい、それに伴ってこの地域へのオーストリアロシアの進出が始まり、また1821年以降のギリシャの独立運動などに代表されるように、バルカン諸民族が独立に向けて活発化するようになる。オスマン帝国治下のバルカン半島の民族分布は複雑に錯綜しており、これらの民族が国民国家を形成しようとする場合、その領域の決定には民族問題が不可避に関わる状況であった
東方問題 - Wikipedia
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